本当に一途に好きだったからあんまり気にしたこと無かったのですが、シゲルって、そりゃあアニメの、ライバルで、イケメン設定だったら、好きな人、他にもいるのは当たり前ですよね。
そんな初歩的なことを忘れてました。
好きすぎるとなんだかその辺達観しますよね。
チョンチ-に関してもそうなのですが、なんだか、自分がその子を好きで好きでしょうがなさすぎて、心の中で勝手にその子が自分のことも好きでいてくれちゃう気がするっていうか・・・余裕はそれ故の驕りというか・・・。
なんか、シゲルは勝手に私のものだと思ってました・・・違いますよね、シゲルは皆様のですよね・・・な、なんなんだこのなんともいえない気持ち・・・。
・・・でもまだ、シゲルは私だけの人で、それが当たり前。って気がしてならない・・・あれ、シゲルって・・・あれ?
最近ちょこちょこシゲル描いてますが、実はとっても描くのが苦手なんです。
私がシゲルを決めちゃいけないって言うか、描くことによってシゲルを固定しちゃいけないっていうか・・・なに言ってんだ?私。
ひぐらしの、悟史が死んだと思っていた時の詩音(目明し編あたり)のイメージというか。
触れられるところには居ないけど、でも、彼は”そこ”に確かに存在する、という感じ。
だからシゲルはいつも私のそばに居るし、私のこと好きでいてくれる・・・みたいな。
・・・あれ、もしかして私電波な事書いてますか?
で、とりあえず、今回描いたのは、まあ、見た感じ寝てるように見えたらそれでも良いのですが。
私ってヤンデレなのかな、よくわかりませんが、好きになると一回は必ず殺したいって思っちゃうんですよね。
私の手で殺せたら幸せなのになーって、それが一番ドキドキするなあって。
だから、ソファで眠るように死んだらきっと素敵だろうなあって思って描きました。
違うかな、死んだことに気付かなくてソファで居眠りってのも良いですね・・・シゲルはかっこいいから見た目は美しいままで死んでほしいです。
でも死ぬならシゲルより私が一歩先に死にたい。
シゲルを悲しませたい。悲しんでほしい。
でも、一秒でもシゲルを見れなくなる時間があったらそれは悲しいから最期まで見届けたい気持ちもある。
だったら一緒に死ねば良いんですね、お互いに、死ぬのかー・・・って思いながら死ねたら最高ですね。
・・・それにしても、私って、漫画描くにしても何にしても、結構死にネタが多い気がする。ちゅうにびょう?
そうか私は厨二病だったんだ。
やった、うほほい。病気ってステータスだよね。
死ぬって、すべてを兼ね備えてる気がするんだ。
美しさとか、汚さとか、清潔感とか、気持ち悪さも、気高さも、冷たさも、暖かさも、全部、ある気がする。
まあ、活気は無いかもしれませんが。
そんな素敵な状態に、私の好きな人がなってくれたら、それってすごく素敵だと思うんだ。
でも死んだら悲しいから、本当に死んだら嫌だよ・・・う、うん。
PR
この記事にコメントする